おばあちゃん、正しいこと、家族

おばあちゃんが死んだ。びっくりした。余命一年で今年のどこかで亡くなるだろうとは聞いていたけど、こんなにあっさり亡くなるとは思わなかった。しかも私はそのとき京都にいて、会いに行かないと言っていたけどやっぱり会いに行くって明日の朝言おうと思ったら、その朝に亡くなった。

おばあちゃんは普通のおばあちゃんだった。だから数年前におばあちゃんは勉強が大好きで中学校で一番の成績で、もっと勉強がしたかったのに高校へ行かせてもらえなかったことを恨んでいたと聞いたときは驚いた。私の知っているおばあちゃんからはそんな姿が全然見えなかったから。おばあちゃんはそういう過去をちらっとでも私に言ったことがない。私が勉強できる方だったことを喜びつつ、無理しないでね健康が一番大事だからとばかり言っていた。

おばあちゃんの古い文集が出てきて、お母さんは一緒に燃やしてもらおうとしていたけれど、そこに書かれていた中学生のおばあちゃんが書いた詩を読んで、私が引き取ることにした。その詩を読んで初めて、勉強が大好きで学校で一番の成績だった女性の姿が見えたから。

おばあちゃんの妹や弟たちは、おばあちゃんがいかに凄かったかを語っていた。おばあちゃんは勉強が出来て足が早くて、学校で伝説だったらしい。それはちょっと話を盛っているのではと思いつつ、おばあちゃんの妹は焼けて黒く焦げた脳みそを触って「賢いのを分けてもらうわ、もう遅いかもしれんけど」と言っていて笑った。私も分けてもらおうと触っておいた。

 

正しいことがしたいと書いていたおばあちゃんは、私と似ていると思った。もし時代が違ったら、おばあちゃんや他の女性たちに、一体どんな未来があったんだろう。おばあちゃんの妹が私のことを「世界で活躍したはる」と評していて吹き出してしまったけど、おばあちゃんにだってそんな未来がありえたはずだ。

 

すごいタイミングで亡くなっていった。おじいちゃんのお葬式には行けなかったから、ちゃんとお見送りできて良かった。会いたかった友達に会えなくなってしまったけど、その分いつもより家族と一緒にたくさん時間を過ごせたし、弟と同じ部屋で寝て、眠れないからお喋りしようよと修学旅行の夜みたいに喋り続けたこと、忘れないだろうなと思う。

 

親からお墓の話をされて、どうしてここじゃなくて京都に墓を立てるのか聞いたら、ここに墓があっても誰も来てくれへんやろうと言っていてその通りだと思った。自分を育ててくれた人が二人とも亡くなってしまう未来のことは考えたくないけれど、両親がいなくなっても私と京都の繋がりは残るんだなと思うと嬉しかった。