ビジネスクラス、生活、器

長距離フライトのエコノミークラスは人権を侵害していると常々思っている。どう考えても人間は10時間以上もあの狭い空間で過ごすように出来ていない。20代の頃はまあなんとか乗れたし、高揚感もあってそこまで気にならなかったけど、30代になって身体に老いを感じるようになり飛行機に乗ることへの喜びも一切なくなった今、エコノミークラスはただひたすら苦痛である。40代になったらどうなってしまうんだ。

そういうわけで日本へ帰るときはなるべくプレミアムエコノミーに乗るようにしている。自由度が高い仕事をしているので、チケットが比較的安い日程を探しそれに合わせて休暇の日程を決める。今回の帰りは水曜の夜11時半に東京を出て木曜の朝6時にパリへ着くフライトで、選んだ理由はもちろんそれが一番安かったからである。水曜に休まず仕事が出来るので私にはちょうど良かった。

ビジネスクラスの横を通る度に、どんな人生を送ればここに普通に乗れるようになるんだろうと考える。一度でいいからビジネスクラスに乗ることが私の小さな夢で、でもまあ無理だろうな、そんなお金あるなら別のことに使いたいし、と思っていた。

ロシアの上を通れない今、東京からパリへのフライトは15時間弱も掛かる。私の人生で一番長いフライトだ。行きはちっとも寝れず、夜に東京へ着いてヘロヘロに疲れていたのに時差ボケていて2時間しか寝れず、帰りもまた同じ感じになると思うと憂鬱過ぎて、犬には会いたいが帰りたくないとばかり言っていた。

チェックインしたらビジネスクラスへアップグレードするオプションが339ユーロという値段で売られていて、思わず即買いそうになったけど、自分が日本で使ったお金の総額を思い出す。冷静になって止めようと思いつつ、でもビジネスクラスなら飛行機に乗ることも憂鬱じゃないよなと一人悶々とし、定期的に空席情報を確認しては10席以上空いていた席がどんどん埋まっていくのを眺めていた。そもそもこうやってずっとサイトに張り付いていることが時間の無駄だし、このままビジネスクラスに乗らずに死ぬこともあるかもしれない、339ユーロでやってみたかったことが叶うなら思い切って買ってみようと思い結局買ってしまった。

初めてのビジネスクラスは最高の一言で、乗ってみて改めてエコノミークラスは人権侵害だし、10時間以上のフライトでは全員横になって寝れるべきだろうと思った。ごはんは普通に美味しく、クロワッサンはオーブンで焼き立てのものが出てきてびっくりした。横になって乗れるという快適さはもちろんだけど、テーブルクロスを敷いてもらえたり、ちゃんとしたカトラリーやグラスが出てきたり、焼きたてのいい香りのパンが食べられたり、全ての体験が素晴らしくて、一人で胸がいっぱいだった。

パリの家について、前日飲み過ぎて二日酔いに苦しむ彼氏より15時間飛行機に乗ってきた私の方がよっぽど元気だった。ビジネスクラスに乗ったからエネルギーがあると言っていつもは数日放ったらかしにして怒られるスーツケースも即片付けた。家にあるものでさっとお昼ごはんも作った。あまりに気分が良かったので掃除をするのも楽しく後片付けも即やった。お肉屋さんに行きローストビーフまで仕込んだ。ビジネスクラスの効果やばいよと彼氏に言うと、それいつまで続きそう?と返された。

おじいちゃんもおばあちゃんも死んで、今年取り壊されて売られることになる家で、積み重ねられてきた生活のことを思った。二人がこの家を買った日のこと、新しい家具や食器を買ってきた日のこと、ごはんを作り、片付けて、洗濯をし、干して、畳んで、掃除して、繰り返してきた暮らしのこと。そういう地味な、何にもならないような、忘れさられていく日々の繰り返しが、愛しくて、人間らしくて、それこそが人生だよなと壮大なことを思っていた。

全部処分されてしまう前に、家のあちこちを漁って欲しいものがないか探した。欲しい器がたくさんあった。今回は持って帰れないので、捨てられないように付箋をつけて分けておく。それでもどうにか何か一つだけおばあちゃんの思い出として今回持って帰れないかと思い、ナルミのティーカップとソーサーを2客持っていくことにした。蚤の市で喫茶店で使われそうなカップとソーサーが欲しいねと探していたけれど、なかなかしっくり来るものがなく何も買わなかったのでちょうど良かった。

おばあちゃんが元気な間に、私がもっと器に興味を持っていて、素敵だと褒めていつか私にちょうだいと言えていたら、どんなに喜んだだろうと思う。おばあちゃんが大事に使ってきた器に、私もまたパリで思い出を積み重ねていきたい。